(395)“救済なき世界”をそれでも生きる(17)・ベックのリスク社会(1)・コロナ危機到来の日本を考える(4)現在の危機を克服する唯一の術

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上に載せた動画は2009年5月30日にスイスの主要メディア新チューリヒ新聞(NZZ)が放映した番組で、リスク社会の発案者であり、世界的権威であるウルリッヒ・ベックが質問に答えて、わかり易くリスク社会を述べた貴重なフィルムである。

ベックは2015年1月1日心筋梗塞で70歳で急死したことから、フィルムを世に出すことをメディアの使命と感じたかは定かでないが、NZZが2016年に世界に公開したフイルムである。

この番組の冒頭でも述べられているが、2009年の放送時は豚インフルエンザが世界を襲い、一時的に脅威のパンデミック襲来と世界を震撼させた直後である。

何故なら、2003年のコウモリ由来のサーズコロナウィルス襲来以来ドイツやスイスでは、動物由来のウイルス感染症パンデミックが警戒されていたからであり、当時ベルリンに暮らしていた私自身も、日々の豚インフルエンザ報道の異常さには驚いたものである。

先ずこの番組でなされたのは、NZZ質問者の「現代はリスク増大に反して死者数は減っている」という指摘に、ベックは「量的大きさではなく、リスク概念を見るべきだ」と主張している。

そしてリスク概念については、「それは人を引付けるもので、崩壊ではなく、言わばその際生じ死者数ではなく、リスクが本質的に知らない未来を語り、未来の予見を求めるものでなくてはならない」と述べている。

またリスク段階を3段階に分け、第一段階はリスクが自然や神々によって決められていた時代で、その原因は人に属していないとしている。

第2段階は近代であり、産業社会がリスクを造り出しており、その原因は人にあるとしている。

そして第3段階は最先端の現代であり、リスク予見は正確に把握できないと述べている。

「それではリスク概念は未来の懸念に過ぎないのではないか」という質問者の指摘に対して、「未来の懸念ではなく備えである」と明言している。

そして今回の最後では、大きなリスクは経済と技術の進歩と平和維持(抑止力としての核武装や平和を守る軍備拡張)から生じており、福祉国家格差是正)で法治国家(民主主義の法順守)を基盤とするヨーロッパの国では、二つの基盤がリスクを回避を提供してきたと述べている。しかしそのような基盤のない韓国、日本、中国は、リスクが高いと警鐘している。

実際この約2年後日本で福島原発事故が起きると、ベックはメルケルの招集した倫理委員会の中心メンバーとして働き、ドイツの脱原発を実現させている。

日本は法治国家であり、富の再配分で生活保護を実施して福祉国家に近いと思われる人もあるかもしれないが、ドイツから見れば経済至上主義で、憲法の重要な法は理念にしか過ぎず、格差拡大を容認する国である。

それ故福島原発事故の際日本の報道を全く信用せず、炉心爆発のリスクを予見して、東京の大使館職員などをすぐさま関西へ避難させたのであった。

 

コロナ危機到来の日本を考える(4)現在の危機を克服する唯一の術

日本が如何に建前だけの官僚支配の国であるかは、報道に関わる者なら明らかである。

2020年の世界報道自由度ランキングでは66位で、右派政権が議会多数決独裁で民主的憲法裁判所と公共放送を公然と政府支配し、多くのジャーナリストが独裁国家と呼ぶポーランドさえ62位であり、64位アルゼンチン、65位ギリシャに次いでおり、報道の自由度が著しく低く、とても民主国家とは言えない。

何故そのように報道の自由度が低いかは、長年外国記者団が指摘してきたように他の国には例がない報道の仕組み、「記者クラブ」があり、原則的に外国記者団やフリージャーナリスト、政府報道をそのまま代弁しないメディアが排除されるからである。

日本歴20年以上の「ニューヨークタイムズ」東京支局長マーティン・ファクラーが、自らの福島原発事故事故直後の現地取材を通して、世に出した『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉新書 2012年)では、現場の悪しき実態を情報寡占組織と指摘して「記者クラブ」を抉り出している。

筆者は「記者クラブ」を“官僚制度の番犬”だと書き、そのようにさせている仕組は明治政府誕生以来続くものだと述べている。

すなわち「記者クラブ」創設は1890年で、明治政府の支配の道具としてつくられ、「“権力の犬”であることが、明治以来の伝統的な日本のジャーナリズムの姿なのである」と厳しく指摘している。

そして最後の言及で、ジャーナリズムの使命である「権力監視」という権力への正しい批判ができていないと断言している。

そのような断言が本当であるかどうかは、7月15日から始まっている“森友問題”裁判での報道を見れば一目瞭然である。

新聞各紙はその裁判を“森友”国賠訴訟と報じて、前日もしくは当日に一回だけ苦心して大きく伝えているが、記者クラブの足枷から、「権力監視」という視点では余りにも腰が引け過ぎている。

これが医師2人が筋萎縮性側索硬化症(ALS)女性患者の嘱託殺人では全く異なり、新聞各紙は事件を追求している。

すなわち日々あらゆる関係者含めて徹底取材し、競って真相を追求している。

しかし政府の関与する事件に対しては、横並びで、踏み込んで真相を追求する姿勢が見られない。

例えば朝日新聞では裁判前日の14日朝刊1面で“改ざん「僕がやらされた」”の大見出しで大きく扱っているが、改ざんを強いられ自殺した財務省職員赤城俊夫さんの無念、そして31面“「私はひかない」実名の覚悟“の妻雅子さんの無念を通して真相に迫ろうとしているが、真相に迫る使命からは余りにも腰が引けている。

しかもそれ以後は、27日現在に至るまで殆ど“森友”国賠訴訟記事さえなく、辛うじて16日の社説「“森友”国賠訴訟 政権に良心はあるか」で書いているが、300か所公文書を改ざんした政権に良心を何度問い直しても無駄である。

その点コロナで政権の足枷が弱まっていることもあり、NHKの15日クローズアップ現代+「“森友問題” 裁判はじまる~疑問は明らかになるのか~」は、驚くほど真相に迫ろうとしていた(注1)。

しかしNHKもつい最近まで「政治部の報道は、安倍政権直属機関の報道である」と批判されるまでに変質していたことも確かで、私自身もブログ(206)“NHKは国家放送になるのか”で、番組を検証したほど変質していた。

それがコロナを契機に、公共放送の使命を果たしていると感じられる番組が多々見られるようになった。

しかし「記者クラブ」の重い足枷で縛られた新聞各紙の報道は、逆にコロナを契機に余りにも酷い。

もっともそうした足枷に縛られている記者たちも無念であり、福島原発事故7年後に日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)が行った「3つの原発事故調・元委員長らにインタビュー」では、その無念が滲み出ていた(注2)。

特にそれは国会事故調査委員会の元委員長黒川清(医学博士、東大名誉教授)のインタビューでは、その思いが強く感じられた。

国会事故調査委員会の2012年7月5日提出された報告書では、事故を「人 災」と断言し、その根本的な原因は政・官・財の一体化から生まれた「規制の 虜」にあるとして、国民の命を守ることより“原子力ムラ ”の利益を優先して安 全対策を先送りにしたと明言している。

そして二度と事故を起こさないために、「規制 当局に対する監視」「危機管理態勢の見直し」 「被災住民への対応」「電気事業者の監視」 「新しい規制機関のあり方」「法規制の見直 し」「独立調査委員会の活用」という7項目の提言をした。

しかし7年後、何も変わらない体制、どれ一つ実現されない提言というなかで何も書けない記者たちは、画期的報告書作成を指導した黒川元委員長の意見に期待したのである。

すなわち記者クラブの重い足枷ゆえに、黒川元委員長の意見として書くことで、そのような現状を突破しようとしたのである。

その様な思いは、以下に見るように記者団の最初の質問から滲み出していた。

(記者団の質問)国会事故調の報告書は原発事故の原因 を「規制の虜」とし、人災であると記しま した。こうした指摘は国の政策に反映されたと思いますか。

(黒川)それはジャーナリズムや報道関係者が取り組むべき問題ではないか。国会に頼まれた私の役割は、両院議長に報告書を提出したところで終わりだ。その後の動きを 監視、国民と共有するのは皆さんの役目だろう。・・・

また「権力を監視するのは誰か」という項目で

(記者団)国会による継続監視は法律で縛らない限り、日本ではどうも駄目だろうというお考えのようですが。

(黒川)皆さんはどれくらい知っていますか。 国会議員は、皆さん多くの案件を抱えている。それに対して、どれくらいの能力と理解力があって仕事しているのか。能力のある人もいるが、国民が選挙するときに誰がそれを問うんですか? それはメディアの責任です。ジャーナリズムは、権力に対するウォッチドッグです。そこがあまり機能 していない。それが一番の問題だ。 政府は、何か問題があっても、それは国民が選んだ国会議員の先生が言っていることだからと、必ず霞が関は言い訳をします。 記者クラブなど、メディアをなめているんです。メディアがきちんと伝えないと、有権者にはわからない。 国会事故調では、委員会の議事もすべて公開してきたのに、記者会見では「委員会 の意見は‥」と何回も質問された。記者が 自分で見たとおりに書けばいいのに、無意識のうちに「責任を負いたくない」という 気持ちが働いている。私の口から言わせて、報告としたいわけだ。

 

このように日本のジャーナリズムは権力に対して何も書けず、結果的に権力の代弁者として利用されており、そうした状況で権力側の良心を求めることで変えようと努力していることは理解できるとしても、それでは国民には真相は全く届かないのである。

もっともそのようにさせているのは明治以来の官僚支配であり、そこを崩すことなしには何も変わらない。

それを崩す唯一の術は、このブログ繰り返し述べているように戦後のドイツに学び、司法を国民にガラス張りに開き、行政訴訟を誰もが容易く求めることができる仕組に変え、官僚支配から官僚奉仕に転換して行くことである。

それなしには何も変わらず、唯々壊れゆく日本を傍観するしかないだろう。

 

(注1)https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4442/index.html

NHK7月15日放送『“森友問題” 裁判はじまる~疑問は明らかになるのか~』

 

(注2)https://jastj.jp/valid/valid_06/top/

3人の元事故調委員長インタビューが映像と記事で載せられており、国民一人一人に真相が伝わっていれば、日本も変わったろうにと思えてくる。

(377)違憲審査法廷創設(最終回)沈みゆく日本の危機をチャンスに変えるやり方・人間メルケル(最終回)地球を救う母への意欲

 

沈みゆく日本の危機をチャンスに変えるために

 

前回述べたように気候変動は現在の切実な問題であり、私の住むところでは地震や洪水はないところであるが、山麓なこともあって風が強く、最大風速60メートルを越える巨大台風の到来が益々頻繁になって行けば、何れ直撃は免れず、ガラスや瓦が飛ばされ、本体の家も危ないと私自身も切実に感じている。
また最近ニュースなどで病院での身体拘束が、やもえない措置として行われている事実に驚くとともに、人間の尊厳侵害さえ止むを得ないとする社会に恐怖を感じ得ない。
例えば9月11日にクローズアップ現代+で放映された『身近な病院でも!なぜ減らない“身体拘束”』では、高齢者の認知症入院は益々増え続けており、その半数近くが身体拘束される現実が描かれていた。
後日放映された『徹底討論! それでも必要?一般病院の“身体拘束”』では、40人ほどの患者を2人の看護師と1人の介護士でケアする現場から、人員が手薄から治療や安全のため、やむを得ず拘束を選ぶ声が聞こえていた。
何故なら万一事故があれば、現場担当者の責任は免れないからである。
しかも看護師のアンケート調査では、「仕事がきつい」、「賃金が安い」、「夜勤がつらい」等の理由から、「いつも職を辞めたいと思う」、もしくは時々辞めたい看護士が75%を超えていた。
このような現状からはいくら理想論をかざしても、益々日本が老人大国に傾斜するなかでは、いずれ患者の身体拘束も当たり前となる現実が見えて来る。
しかし事故の可能性があるという理由での身体拘束は、だれもが人間の尊厳を侵すものであると認める行為であり、ホロコーストを体験した戦後の国連憲章では最優先の基本原理として掲げており、日本の憲法でも第13条に「すべて国民は、個人として尊重される。」、24条2項に「・・・、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」と規定し、国民主権、平和主義ととも日本の民主憲法の3大原理と言われて来た。
そのよう人間の尊厳を侵すことが、人手不足などの経済的理由から責任回避のため容認されて行けば、いずれ社会にとってお荷物な人たちはホロコーストへの道も開かれ兼ねない。
とはいえ現場に真摯に向き合えば向き合う程、容認せざろう得ない現実があり、どのように身体拘束を減らすことに努力しても無理である。
それは、認知症などの高齢者を施設や病院で看護するシステム自体に問題がある。
私自身母の介護で困り、技術を学ぶために町が主催する2週間ほどの3級介護ヘルパー育成講座を受けたことがあるが、施設の実地研修ではマニュアルが分刻みに画一的に決められており、それに従うことのできない人たち(男ばかりであったが)は放置され、デイサービス施設に連れて来られること自体が認知症などの原因となっているように思ったからである。
確かに現在の日本社会では、認知症や病気で伏せる高齢者の看護や介護を家庭でみることは困難になりつつある。
しかし私の小さい頃は家庭で看取ることは当り前のことで、私の祖母も立てなくなるまで癌を抱えてキリスト教会設立に奉仕し、床に伏してから1年近く父母が看護して、家で看取った。
祖母は父母に敬われており、私も毎日枕もとで祖母のしてくれる物語を、死の意味すらわからず興味深く聞いたことを思い出す。
それから60年以上も年月が過ぎており、日本の成長過程では病院での看取りに変わざろう得ず、一度変わったシステムは戻すことは難しい。
しかし現在のシステムが将来的に困難であることも見えてきており、例えば今世界が注目する16歳の気候変動の活動家グレタ・トゥンベリさんは、「今のシステムで解決できないならシステムを変えるべきだ」と世界に訴え、世界の多くの若者が共感し行動し始めている。
ここで訴えられているのは、絶えず成長が不可欠な資本主義システムであり、全ての人が平等に幸せになれる持続可能な脱成長のシステムに他ならない。
確かに60年前のモノのない時代に比べ、現在はモノに溢れていると言っても過言ではない。
それは生産力が機械やコンピューターの導入で数百倍にも上がったからであるが、人々の暮らしはミハエル・エンデが描いたように時間泥棒に奪われており、ゆとりが感じられない。
それはモノを作ることから人が追い出され、あり余るモノを売るために、あるいはお金を益々増やすために人々が駆り立てられ、敷かれたシステムに沿って、競い合っているからである。
そのようなシステムはグローバリズムに起因しており、古くは富への欲望がコロンブスやマゼランをしてコロニアリズムを開始した時から始まっている。
それは植民地支配を受けた人々にとっては、豊かな自給自足の暮らしが奪われるだけでなく、長年培われた伝統や文化が壊され、貧困、そして不幸へと強いられることであった。
それは70年代ヘレナホッジが世界一幸せな地域と称賛した“ラダック”が、現在のコロニアリズムともいうべきグローバリズムによって、伝統と文化が壊され、貧困と暴力が連鎖する不幸な地へと変わって行ったことを見れば推察できるだろう(上の動画参照・注1)。
それゆえ90年代からグローバリズムに対抗するローカリズムが世界で叫ばれて来たが、世界のグローバリズムはそのような叫びさえ呑み込み、益々強化され世界の隅々まで拡がっている。
しかしそのような拡がりが地球温暖化の深刻化を招き、16歳のグレタさんの地球危機の訴えが世界に大きく反響している。
それは世界で生きるすべての人が、巨大台風、洪水、干ばつ、キクイムシ繁殖による森林枯死、伝染病の増大など深刻な被害を受けるようになって来たからである。
そして気候変動会議の合意として、現在のように二酸化炭素排出を増やして行けば(実際2018年の排出量は前年の1.7%増で、増大記録を更新続けている・注2参照)、これまで2100年に到来すると言われて来た危機が、10年後に来ると警鐘しているのである。
そのような警鐘は世界の気候変動を現場で研究する人たち合意によるものであり、毎年毎年洪水や台風が激化していることからも、最早これまでのようにグローバル化を推し進めることはできない筈である。
グローバル化を抑制することは、絶えず成長により富を追及する人たちにとっては問題であるとしても、時間泥棒によって本来の喜びを奪われている人たちにとっては福音にもなり得る。
しかも現在警鐘されている10年後の危機も、地域自立のローカリズムを取り戻す機会の再来と考えるなら、災い転じて福となる。
それを決めるのは今を生きる人々であるが、置かれている状況が十分把握できれば、極論的に99%の世界の人々は、気候変動の原因である化石燃料グローバリズムより、自然エネルギーローカリズムを選ぶ筈である。
私自身も、都会の便利でモノが容易に手に入り、絶えずお金を求める暮らしを40歳頃まで続けて来たが、その後選んだ地域でのお金に縛られない農的暮らしは比べられない程幸せだと思っている。
それゆえに既にブログで書いたように、若い頃のバングラディシュでのボランティア体験が蘇り、お金の基準ではもっとも貧しいバングラ第二の都市チッタゴン丘陵地帯での、豊かな暮らしが思い出される。
そこでは電気がないだけでなく、ないない尽くしの自給生活であったが、自給ゆえに村の助け合いも慣習化され、伝統や文化だけでなく年寄りが生き字引として尊重されていた。
特に訪れた家では、既に長く寝たきりになったお婆さんが手厚く世話され、最初にその寝床に案内され、違和感なしに挨拶したことが蘇って来る。
そしてその村を去る時は、何かを施したわけでもないのに、少年たちが「ビタイ、ビタイ」と言って姿が見えなくなるまで数十分も見送ってくれ、その少年たちの純真さゆえに、今もその光景が私の脳裏に焼き付いている。
もっともそのような人間本来の心の豊かな暮らしは、半世紀前のバングラデシュの都会ダッカチッタゴンでは既に奪われており、政治的そして経済的に分断され、天と地ほどの違いを感じたものであった。
今思えばそのように地へと突き落としたのは、お金への欲望であり、グローバリゼーションである。
それはラダックの過去と現在を映像で見る時、グローバル化で驚くほど安い価格で食料が入ってくることで地域の生業が崩れ、若者の都会への出稼ぎで法外なお金が得られることで、長老に頼る村の慣習が激変するだけでなく、年寄りが軽蔑され、生きがいさえ奪われて行く様が理解できるだろう(生きがいが奪われる時、認知症が激増することも確かである)。
都会で成功した若者も、そこはかつての連帯による心豊かな暮らしではなく、暴力と汚染に塗れたお金に縛られる競争社会であり、時間泥棒に本来の喜びを奪われた心貧しい暮らしと言っても過言ではない。
今私たちが直面している危機は、中長期的には免れないものとしても、グローバリゼーションからローカリゼーションへとパラダイム転換すれば、気候変動を緩和できるだけでなく、心豊かな暮らしを手にすることも可能である。
しかし現在のように資本主義が飽くなき成長ができなくなるなかで、それを最優先してきた日本では、国民全体の利益より絶えず国益が優先され、京都議定書決議後本気で地球温暖化に取組まず、現在も目先の国益だけを考え、世界の流れに逆行して先送りしている。
それは国を挙げて掲げる海外売込みの二大柱が、未だに途上国への石炭火力と、最早先進国では放棄された原発建設であることからも明らかである。
しかも10年後の気候さえ危ういにもかかわらず、二酸化炭素排出の自動車関税引下げを優先させ、輸入農産物や食品の関税引下げで、ウイン、ウインと喜んでいる。
それは私から見れば、最早農村では農業に未来はないとして、生業として継ごうとする若者が殆どいないなかで、農業を滅ぼすとどめである。
事実私の住む集落でも、私より一回り年上のこれまで半世紀以上3町歩ほど米作りをしてきた農業者がやめることで、営農継続が大問題となっている 。
それを見れば、いずれ日本はコメ輸入国となり、日本の農業や酪農が規模や条件の違いから壊滅することを、誰もが予感しよう。
実際工業国日本の国益のために農業壊滅も止もう得ないという道を選択していることは事実であり、そこではグローバル化で世界の最も安い産地から農産物や畜産物を買えばよいという声が聞こえてくるが、10年後の気候変動危機は世界中に洪水や干ばつを蔓延させることから、食糧危機の深刻化は避けられない。
そのようになれば農産物や食料品は高騰し、現在の何処かの国のようにマーケットに食品が陳列できない事態さえ想定される。
その時再び農業復興を目指しても、一旦荒れた農地は茅や葛が蔓延り手遅れである。
そのような悪夢の将来を招かないためにも、今こそ日本の将来的進路をグローバリゼーションで国外に向けて行くことから、ローカリゼーションで国内に向けるパラダイムシフトへ徐々に転換させて行かなくてはならない。
その第一歩はドイツのように脱原発宣言であり、化石燃料エネルギーから自然エネルギーへのエネルギー転換であり、それは地域でのエネルギー生産が圧倒的に有利であることから、政府が大企業支援さえ止めれれば、必然的に地域のエネルギー自立は達成されよう。
地域自立が達成されれば、自ずと農産物の地産地消だけでなく、地域だけでお金が回る地域中心の分散型技術の社会が創られ筈である。
そのような地域は現在過疎化したところに無数に点在しており、たとえ世界がこの100年で海岸付近の海抜数十メートルの地を失っても、今から備えて行けば、人間本来の豊かな暮らしを全うでき、人類の理想を実現することも可能である。
しかし明治より国益最優先の官僚支配の政府をそのままにしては、それを実現することはできない。
何故ならそれを目標として政権が変わっても、利権構造が網の目にように張り巡らされているなかでは官僚支配のシステム自体が、一旦実施された政令を堅固に守っているからである。
それは、民主党政権の国と地方合わせて50兆円を費やすコンクリート土建国家の柱ともいうダム建設中止宣言で、それを象徴する八つ場ダム建設中止が有識者会議の検証を経て、ダム開発再建宣言に180度転換されていくことからも明らかである。
それは、正攻法で17回の有識者会議を重ね、議事録も公開し、一都五県の知事の再建要望、網の目のように拡がる利権者の再建要望高まるなかでの常套手段の行政手法であり、民主党政権の場当たり的手法では全く歯が立たないことを明らかにした。
しかし一見歯が立たない正攻法にも大きな弱点があり、有識者委員の選択は官僚に任されており、議事録も記録映像のように事実を包み隠さず公にするものではなく、要点を都合いいように官僚が列挙しているのである。
これでは最初から結論は見えており、只辻褄を合わし責任を回避しているだけで、戦後の国民主権を掲げた国民発議の審議会から現在に至る無数の審議会や専門委員会は、全てそのように官僚支配されて来た。
ドイツはそのような官僚支配の行政手法を、委員の選考を官僚支配から奪い、連邦委員であれば連邦選挙、州であれば州選挙、自治体であれば自治体選挙の各党の得票数で、各党の推薦する専門家委員を選出し、議事録で公開するだけでなく、委員会をガラス張りに市民に公開することで、戦う民主主義と言われるまでに公正な民意が反映される社会を築いてきた。
何故なら各党推薦の専門家委員たちは市民理解を絶えず求めており、異なる意見も議論を重ねるうちに多数の世論調査機関が民意を形成し、大抵の場合多数決を取らなくても少数意見さえ尊重できる合意が得られている。
そのような審議会や委員会での専門委員たちは、各党の掲げる綱領に従い市民を倫理的に啓蒙し合っていると言っても過言ではなく、間接的に国民一人一人が参加する政治であっても、決してポピュリズムに陥ることはない。
そうしたドイツに学ぶことは、審議会、有識者会議にしろ専門委員の選考は官僚抜きの国民支持率による各党推薦の専門委員とし、国民の関与するどのような会議も例外なくガラス張りで公開することであり、それができれば日本も変わることができ、将来の希望なきカタストロフも希望に輝く創造へと転換することも可能である。
それを実現するのは平和憲法改正に反対する野党が、憲法を守り正すために結集し、既に第一回で述べたように、戦後司法の独立を誓い、違憲審査を主要な使命とする最高裁判所の目標を復権させるために、違憲審査法定を設けること、そして現在の危機を克服できる公正でガラス張りに公開する仕組への変更を公約に掲げることである。
それは本質的に国民のためであり、必ず理解が得られる筈だ。

 

(注1)YouTubeに公開されている動画に日本語字幕を付けたもの。ラダックの現在と素晴らしい過去が理解できよう。

またヘレナホッジのグローバリゼーションを解決する『幸せの経済学(短縮版)』も公開されていたので、日本語字幕を付けておいたので、是非見て欲しい。

https://www.youtube.com/watch?v=qXusJgHWaB0

https://www.youtube.com/watch?v=qXusJgHWaB0

(注2)グローバルエネルギー消費と二酸化炭素排出統計レポート
https://www.iea.org/geco/
2012年の京都議定書破綻を受けて、世界の現実は2016年より再び二酸化炭素排出量が際立って増加に転じていることを示している。

 

 

人間メルケル6-6(最終回)混迷する世界危機の救世主たらんとするのか?

メルケルの早急な公正な社会実現への強い思いは、脱原発宣言だけでなくシリア避難民の受入れでは、「救いの手を差し伸べないなら、私の祖国でない」とドイツ国民を諭し、地球温暖化でもいち早く脱石炭火力を要請し、ドイツ社会さえ困惑するほど突出している。
そうしたなかで、少なくとも2010年まで保守一辺倒であったキリスト教民主同盟CDUが、メルケル首相に徐々に距離を置きだしたのは当然の帰結である。
しかしドイツがシュレーダー政権の競争原理最優先、産業利益最優先の新自由主義にのめり込んでいくなかで、それを“万民の幸せ”という国民利益最優先に戻し、公正な社会実現に大きく舵を取ったのは、まさしくメルケルである。
特に鮮やかだったのは2011年の脱原発宣言であり、CDUの過半数議員が原発継続を支持するなかで、多くの原発関与企業の委員も含む倫理委員会を立ち上げ、会議の全てを公共放送で放映してガラス張りに開き、どの世論調査ドイツ国民が圧倒的に脱原発を望むという状況を作り出し、誰もが公に反対することなく脱原発を実現したことである。
しかしそうした鮮やかなメルケルの手法も、突出しているゆえにCDU内では限界があり、メルケルの後継者カレンバウアーに右派の保守政治家たちとの抗争のなかで党首を委ね、新しい道を自ら築いてもらいたいというメルケルの思いが理解できるだろう。
最後にフィルムはメルケルの時代評価を求め、政党関与者からは辛口の批評がなされたが、時代を代表する2人のジャーナリストは、「彼女は重厚な木材箪笥家具のように、国際政治の中で生き続け、その毅然さは非常に素晴らしものです」、「なんと素晴らしく平穏だったと、人々は数年のうちに言うようになるでしょう」と、メルケルの時代と国を越えた偉大さを称賛で締めくくっている。
そのようなメルケルゆえに、前回紹介したハーバード大学での講演の終りに、首相職終了後の生き方にも言及し、「唯一明らかなのは、何か別のもので、新しい生き方である  Nur eines ist klar: Es wird wieder etwas anderes und Neues sein.」と述べたことには、危機に混迷する世界の救世主たらんとする決意が感じられた。
それはドイツの脱原発を導いたように鮮やかなものであり、国連を通して化石燃料のグローバリゼーションから自然エネルギーローカリゼーションへの転換で、気候変動の解消と同時に世界平和を、そして世界のすべての人に幸せもたらすものと信じたい。

 

尚、しばらくブログ更新を休みます。

移転のお知らせ

「ドイツから学ぼう」は1から359まではてなダイアリーに書いてきましたが、ダイアリー終了のため応急的に360から365までこのHatena Blogに載せてきましたが、Hatena  の移転完了の通知を受け、そこへまとめることにしました。

(366)、及びそれ以降のブログは下記アドレスをご覧ください。

 

msehi.hatenadiary.org

ドイツから学ぼう(365)ドイツから学ぶ未来(8)令和が求めるもの・ガブリエル倫理トーク(13)遺伝子組み換え食品

 

令和が求めるもの

 

長い間帯状疱疹で農作業を休んでいたが、自然は待ってくれないため急速に育ち始めた作物の草取りや土寄せ、そして稲の苗箱作りに追われている間に、あっという間に平成から令和に入っていた。
上の私の見た動画59を見れば一目瞭然のように、長年「美しい日本を掲げて来た安倍首相が、本来の平和を追求して来た平和憲法を改正して、徹底した平和主義のために国民が身を捧げるという美しい日本に他ならない。
安部首相は平和をどのように続けていくかの質問に対して、「しつかりと備えて、努力していかないといけない」と明言している。
その言葉はメディアを利用して多くの国民には優しく響いて来るが、私には恐ろしく感じられる。
何故なら徹底的平和主義の本質は、力によって平和をつくりだすことであり、明らかに平和憲法に違反する集団自衛権行使を国民世論無視で強行成立させたことから見れば、政令によって徹底的平和主義を貫徹する強い意志が感じられるからだ。
事実「令和」という元号は、今年2月末事務方によって十数案に絞られるなかで、安倍首相が「他にも検討しよう」言って万葉集の権威中西進氏に依頼し、3月25日ごろ追加元号「令和」が提出され、28日に「令和」を含む6つの元号原案を決め、4月1日に首相が「令和」に決定したと報道されている。
そして令和の由来は、万葉集の巻五にある「梅花(うめのはな)の歌32首 序文」からで、「時に初春の令月にして気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き蘭は珮後の香を薫ず」より採ったそうであり、自ら決めた首相は「令和には人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められている」と述べている。
しかし万葉学者品田悦一東大教授は、万葉集が忠君愛国と切っても切れない関係で、戦前の軍国主義に利用されてきたことから警鐘をならしいる(朝日新聞4月16日32面)。
そのことからすれば、まさに「令和」は政令で徹底的平和主義のために、国民に身を捧げることを求める首相の「美しい国」である。
もっとも心から平和と世界の共存共栄を願って、『書経』の「百姓昭明、協和万邦」からつけられた昭和が、太平洋戦争を犯したことからすれば、こうした元号由来を国民が考える切っ掛けとなれば、塞翁が馬のように災い転じて福となすこともできるだろう。
すなわち平和憲法改憲だけでなく、福祉財源が益々縮減され、イージス基地に見られるように軍事財源だけが益々増大する「令和」という時代を、国民の自ら考える切っ掛けとなれば、近く問われる憲法改正も跳ね除け、平和の継続だけでなく、万人の幸せが求められる時代にすることも決して難しことではないだろう。

 

ガブリエル倫理トーク(13)遺伝子組み換え食品

 

ガブリエルの「既に神学的に議論されたとき、大地は人に意のままにされるべき古い契約があると言えるでしょう」という言葉は、バチカンのマルティー大司教が「遺伝子組み換え食品は、バチカンの大きな懸念である世界の飢餓を軽減できる可能性がある」と訴え、ヨーロッパ中で大議論となったことを受けている。
ガブリエルの視点に立てば、人類の歩みとは大地を意のままにしてきた歴史であり、遺伝子操作の利用は遅かれ早かれ免れないと考えており、恐るべき被害を受けないために科学的追及と同時に倫理的追及、そして厳しく管理していかなくてはならないという主張が聞こえて来る。
具体的な遺伝子組み換え食品には触れられていないが、既に世界では(アメリカやブラジルなど)、トウモロコシ、大豆、菜種、綿などの生産の大部分は除草剤耐性や害虫耐性の遺伝子組み換え作物となっており、日本では大豆の自給率7%を除き3品種の自給率はゼロであり、輸入される9割が遺伝子組み換え作物であると報告されている。
確かに日本では試験栽培以外に露地栽培されておらず、豆腐などでは使用されていない表示がなされている。
しかし日本では遺伝子組み換えの飼料を使用していないものはないと言ってもよく、菜種油、味噌、醤油などの加工食品でも家庭に行き渡って来ており、既に誰もが遺伝子組み換え食品に取り込まれていると言っても過言ではない。
市民運動の強いドイツでは当然のことながら遺伝子組み換え食品に対する反対の声は強く、牛乳や乳製品にも飼料として遺伝子組み換え飼料を使用していない表示も当たり前となっている(下に載せたドイツの遺伝子組み換え作物に対するバイエルン放送の動画参照)
こうした遺伝子組み換え食品はたんに風評被害ではなく、世界の各地から健康によくない、環境を破壊するという事例や声が益々拡がって来ており、それにもかかわらず世界の遺伝子組み換え作物は増大している。
その理由は競争原理が最優先されるからであり、それを達成するために作物栽培では除草と害虫駆除が最大の問題であり、とくに大規模大量生産では除草剤耐性、害虫耐性の品種を生み出すことが求められるからである。
しかし除草剤の健康被害さえ頻繁に起きているなかで、雑草が枯れても枯れない、害虫が死ぬような作物自体、人間の体に影響がないという方がおかしいのではないだろうか?
事実フランスなどの除草剤耐性トウモロコシの試験研究では、腫瘍発生や肝臓や腎臓障害を報告しており、疫学的証明は難しいとしても、大きなリスクのあることは否定できない。
また抗生物質が細菌との戦いであるように、除草剤に打ち勝つ雑草や害虫耐性種に打ち勝つ害虫は既に生じてきており、鼬ごっこはさけられず、結局除草剤や農薬の使用量が年々増えて行くことになる。
また現在は日本では露地栽培はされていないが、栽培されるようになれば交配による遺伝子汚染は避けられず、従来の品種が駆逐されて行きかねず、長い年月によって形成された多様性も失われる。
単一種になって行けば、病気の拡がりによって世界飢饉を招く確率も飛躍的に高まるだろう。
またゲノム編集を通して人への応用も始まっており、現在までのところ難病治療のためにしか応用されていないが、最早遺伝子操作技術はデザインナー・チルドレンを作れるまでに達しており、その危険性は計り知れない。
すなわち現在の世界は核戦争危機や地球温暖化危機が迫っているだけでなく、遺伝子組み換えやゲノム編集に見るように、あらゆる分野で人類の危機が迫っている。
そのような人類の危機を、これまでのように競争原理に任せて行けば、人類は滅びるしかないだろう。

 

ドイツから学ぼう(364)ドイツから学ぶ未来(7)終活を考える後編・戦後の障害者福祉後編・ガブリエル倫理トーク(12)お金への求望

終活を考える後編

私が帯状疱疹を発症してから、彼是三週間を過ぎた。
既に一週間前には痛みも和らぎ、発疹は小さく黒くかさぶたとなり、現在では歩くとき腿の付け根が少し痛いことと、寝る時多少痛みを感ずるまでに良くなって来ている。
そして今日、稲の苗づくりで苗箱を田んぼで育成する作業も、娘と一緒にできるまでになって来ている。
もっともこれまでは、歩いて10分ほどの山の麓の田畑に出かけても、作業をするまでには至っておらず、娘の耕した畝に種を蒔いたり、伸びてきた人参、大根、ゴボウ、もろこし等の芽に水をやる程度で、もっぱら口を出していた。
何故なら少し無理をすると痛みと疲れがでることから、農作業や森での薪切りは殆ど娘に頼らざるを得なかった。
娘は学会など忙しい日々が続き、3月後半にはアイヌ文化探索で帰って来たばかりで、既に私が帯状疱疹を発症し、入院も医者にもかからず安静第一に徹したことから、集落の会合から夫役など、全てにおいて苦労かけたように思う。
今回の原因不明の激痛から始まり微熱もあったことから床に臥し、ともすれば不安の日々が続いたが、娘の逞しさを体調を崩し共同生活を始めた1年前に較べて驚くほど、実感できたのも意義があった。
また床に伏して考えるなかで、これまで生きてきたなかでネガティブなことも、森羅万象に生きる縁として、受け取ることができるようになったのも有難いことだと思っている。
まぁー、先はそれほど長くないとしても、今日やりたいことを決して無理せず、日々喜びとして悔いなくやれれば良しと、腹を括れたことは病も私にとって意義あることだった。

 

戦後の障害者福祉後編

 

後編は脳性マヒとして生れながらも、健常者さえ儘ならない「自分の意志で自由に生きる」ことを求め続けている三井絹子さんの闘いから始まる。
より良い福祉を求めた美濃部都政の障害者療育センター開設が、障害者を家庭からも隔離し、三井さんのような病人でない障害者を病人として扱ったことから不満が高まり、支援者の拡がりもあってテント闘争へと発展した。
三井さんは当時を振り返って、「たとえ手足が不自由だろうが、しゃべれなかろうが、みんな人間なんだと叫びたくて坐り込んでいました。・・」と語る。
1年9か月にも及んだテント闘争は、美濃部都知事との和解会談で終結し、センターを障害者の生活に適した場にすることで合意された。
三井さんは、それが社会に障害者にも意思があることを知らしめた点では意義があったと回顧するが、「自分の意志で自由に生きる」ものとは程遠いものであった。
それ故三井さんはその後支援者と結婚し、センターを出て「自分の意志で自由に生きる」道を選んだと、ナレーションは語っている。
しかし三井さんたちの望む「自分の意志で自由に生きる」道、すなわち60年代に北欧で始まった「障碍者が本人の意思に基づいて、施設ではなく地域で他の人と同じように暮らす権利がある」というノーマライゼーションは、日本社会では自ら築くことができなかった。
フィルム中盤で描かれる秋保産夫婦のように、障害者同士が結婚し、並大抵でない努力によって、地域で他の人と同じ暮らしを実践する人は確かにいた。
しかしそれができたのは、1981年の国連の国際障害年の先進国日本への外圧を通して、障害者支援が85年の障害基礎年金制度設立によって倍増されたからである。
また障害者支援による財源が不足するなかで、障害者自立支援法という言葉とは裏腹に、障害者の作業所などで利用料の一割負担で自立を妨げる法律を、跳ね除けることが出来たのも国連の外圧だった。
確かに秋保さんたちの体を張った提訴も大きな力となったことも事実であるが、日本は国連から先進国として、ノーマライゼーションを遵守する障害者権利条約批准を強く求められていたからに他ならない。
そして2014年に日本は障害者権利条約を批准し、今障害者の人たちが施設ではなく、地域で他の人と同じように暮らす権利があるというノーマライゼーションが始まろうとしていると、フィルムは幕を閉じている。
しかしその後の日本社会を見れば明らかなように、障害者福祉をつかさどる政府自体が全く変わっていない。
例えば2018年に発覚した政府27省庁の障害者雇用は、実際とはかけ離れ倍以上に水増しされており、3400人を超える偽装雇用がなされていた。
それは国だけでなく、地方自治体の公務員雇用でも同じであり、意図的になされていたと行っても過言でない。
また162万人の障害のある人の生活基盤である障害基礎年金支払いでは、2017年から2900人もの障害のある人が軽度障害として突然支払いを停止され、2018年には1010人の受給者に停止予告がなされており、障害のある人への支援が障害者権利条約批准とは逆行して、意図的に縮減へと舵を切ろうとしている。
こうした背景には、国を司る官僚たちの無謬神話が戦後もしっかりと生残り、国益最優先の大本営の意思を貫徹するため、事実の改ざんも厭わない恐るべき戦前への回帰を感ぜずにはいられない。
何故なら公文書の改ざんは最早日常茶飯事のように繰り返されているにもかかわらず、調査での民間の介入も仲間内でなされているかのように緩く、過ちが容認されているからだ。
ドイツではそうした過ちが、侵略戦争、さらにはホロコーストを招いたとという反省に立ち、日本が明治に手本とした官僚制度を180度転換させ、行政に携わる官僚は過ちを犯し得る視点にたって、その責任を問うことが求められ、行政訴訟を市民の誰もが容易に行うことが出来るようにし、訴訟の際は行政の資料がすべて裁判所へ提出されている。
それはドイツの官僚支配を官僚奉仕へと変え、日本のように戦前への回帰の兆候は全く見られないだけでなく、道を間違えることはあっても絶えず万人の幸せが追求されている。

 

ガブリエル倫理トーク(12)お金への求望(欲望)

 

今回の問答ではテーマの紹介として、“世界中で衣食住で困窮する無数の人がいるなかで、絶え間なくお金を増やそうとする欲望は正当化できるか?”という問いがなされている。
ガブリエルは、お金への救望には相応しい理由が必要だと述べている。
そしてお金への求望は資本主義特有のものではなく、私有財産を認めない社会主義にもあり、あくまでも倫理的問題だと主張している。
そして弱者支援を掲げ、必要不可欠な衣食住を保証するドイツの社会的市場経済では、お金への救望が適正に機能し、億万長者にも富の再配分の厳しい税が求められ、さらに責務である寄付もなされていると語っている。
ラストの封建領主の例えでは、富の再配分を国のレベル(公的領域)で強化には反対であることが伺える。
すなわち裕福者には社会的責任を求めることで、すなわち私的領域での倫理的解決を説いているように思える。
確かにガブリエルの主張は、衣食住だけでなく、長年無料の教育費や充実した給付奨学金で母子家庭でさえ格差を生み出さないよう配慮するドイツでは、裕福者にも厳しい富の再配分が徹底され、教会などを通して裕福者への寄付の倫理的責務が徹底されている国では正当化されよう。(私の滞在したベルリンでは、近辺の倒産したデパートなどの再開発の財源は全て寄付に因るものだった。また利益を出した企業の市民還元は当り前で、夏にはオペラ座横の大広場で世界的有名な演奏家の野外無料コンサートや野外無料オペラは市民の楽しみとして定着していた)。
もっともそのように出来るのは、ドイツがEUにおいて突出して秀でた国であり、2012年以来債務ゼロだけでなく莫大な黒字を出しても、通貨がギリシャからスペインやイタリアに至る大幅赤字国によって上がらず、益々国際競争力が強くなるからに他ならない。
したがってドイツではお金への求望は正当化されても、世界中の無数の困窮者救済には逆である。
何故ならお金への求望が、富を一握りの人たちに集中するからだ。
その原因はピケティが明らかにしたように、資本収益率⒭が経済成長率⒢よりも遙かに大きいからである。
すなわち裕福者は財の投資で益々富が増すのに対し、財のない市民はワーキングプアに見るように、働けど働けども益々貧しくなっていくのが世界の現実である。
それ故ピケティは、グローバル資産課税や累進課税強化を提言している。
この提言は正論であるが、無国籍巨大企業や世界の億万長者が力関係で公正な税を求める国民国家を遙かに凌ぐ現実のなかでは、タックスヘイブンなどに見るように全く機能しないだけでなく、逆に巧妙化させているのも事実である。
将来的にはそうした課税は不可欠であるが、機能しないのであれば、ドイツのように裕福者に徹底した倫理的責務を求め、ユニセフのような富の再配分を実践する機関や団体への寄付を大幅に増やすことが、現段階では最善のようにも思われる。
そのような視座から見れば、ガブリエルの主張する私的領域での取組も正論であろう。

ドイツから学ぼう(363)ドイツから学ぶ未来(6)戦後の障害者福祉・終活を考える前編

終活を考える 前編

 

私の忌み嫌う言葉に、人生の終わりを閉じるにあたって一連の備える活動を意味する終活がある。
しかし先日から左腰がこれまで経験したことのない痛みがあり、風邪やインフルエンザには抗生物質を出さないと謳っている、最低限の薬しか出さないクリニックを受診したところ、問診の後筋肉痛だろうということで副作用のないアセトアミノフェン原末の頓服を出してくれた。
夜床に着くと、堪えれない痛みがするため頓服を服用した。
しかし全く痛みが治まらないため、いよいよ来るべきものがやって来たと、朝まで痛みを堪えるなかでネガティブに思案していた。
何故なら非ステロイド系鎮痛薬が全く効かないのは、父や母の経験から癌細胞が骨→神経細胞を侵していると連想したからである。
朝起きる頃にはネガティブな思案も、ようやくポジティブな考えとなり、来るべきものがまだ気力のある72歳の時点に訪れたことを良しと捉え、家財はそのままとしても、書き残すべきものだけは書いて置きたいと決意した。
母の在宅での最期が強い非ステロイド鎮痛薬ロキソニンが全く効かなくなり、モルヒネの張り薬で痛みが緩和されたことから、それに頼ろうと思った。
もっとモルヒネ使用で終末が訪れるのは数か月であったので、10数年若い私の場合癌細胞の増殖も速いことから、1か月を限度としないと覚悟して起床した。
起床後鏡で左腰を見るためパンツだけになると、左腿に小さな赤い発疹が出ていることに気が付き、ヘルペスウイルスによる帯状疱疹ではないかと思った。
実際夜には赤い発疹が拡がり、左腰にも出てきたことから帯状疱疹であることを確信した。
父や母も癌が発見される数年前に帯状疱疹を患い、病院に1か月以上も入院して治癒した当時が蘇って来た。
病院の入院は決して楽ではなく、その症状は治癒しても逆に病気にさせられるという強迫観念に近い思いがあったから、自宅での療養を決意した。
何故なら病院では院内感染はないとしても、早朝から夜に至るまで検査、検査で追いまくられ、従来の自分のバイオリズムが崩され、私のような薬嫌いの人間には耐えられないことであり、そのうえ立場の弱い看護婦さんを通して絶対服従が病院では求められるからだ。
私が薬嫌いなのは、自分自身が製薬会社の研究室で数十年前ドラックデザインしていたからであり、薬は毒を持って毒を制するであり、症状を緩和しコントロールするだけで、本質的に疾患を治すものはないと思っているからである。
しかも研究室でのドラックデザインのやり方は、癌細胞やウィルス、もしくは疾患部を鍵穴と見立てて、特許のとれる基幹化合物に鍵となる、例えばスルホンアミド基を付けるといったものであり、効能を増強することが目的で慢性毒性や遺伝子変異は眼中になく、副作用や薬害にも開発段階で殆ど見向きもされないからである。
もっとも病院にも行かず、薬も飲まず自宅で治そうというやり方は誰にでも薦めれるものではない。
中途半端で自宅で治療しても、痛みに耐えられず、買い薬に頼るというのでは返って危険であろう。
私自身はあくまでも自己責任で、帯状疱疹では痛みはあっても薬に依存することなく(痛みは温める湿布で緩和)、自宅で治した方がよいと確信しているからである。
もっとも発疹が出てから10日ほどであり、赤い発疹は少しずつ紫ずみ、かさぶたになりつつあり、治癒に向かいつつあると思っている。
もっとも依然として痛みが続き、決して治ったわけでないことから、次回はその報告もしたいと思っている。

戦後日本の障害者福祉 前編

私の見た動画58前編では、NHKが2016年に放送した戦後証言『日本人は何をめざしてきたのか 第6回 障害者福祉 共に暮らせる社会を求めて』を通して、脳性まひの横田弘さんに焦点をあて考えて見た。
日本の障害者福祉は特効薬で治癒したハンセン病者同様に、社会のお荷物となる重傷障害者が戦後も社会から隔離され、その政策で障害者の人たち自ら語るように、家庭の座敷牢に繋がれていたと言っても過言ではないだろう。
事実厚生省に重症障害者福祉を陳情した北浦雅子(94歳)さんは、厚生省の役人が「社会に役に立たない者には、国のお金は使えません」と、弱者切り捨てが公然と言い放たれていたことを証言されている。
北浦さんたちの働きもあって政府はようやく重い腰を上げ、欧米では当り前となっていた集団施設コロニー建設に着手するが、それは社会からの集団的隔離に他ならなかった。
「ぼくは空の広さを知らない」で始まる「四角い窓」の詩を書いた横田弘さんは、詩の終わりで「四角い窓が深くかすめば春が来たと喜び、深く清めば秋が来たと悲しむ。そんなぼくを人々は片給者と呼ぶのだ」と訴えている。
その横田さんが自らが障害者と意識したのは、学校であったと述べている。
すなわち昨日まで一緒に遊んでいた子供たちが登校していくのに、行けなかった思いを吐露している。
それは横田さんの差別への戦いの始まりであり、至るところで障害者を締め出し、隔離している社会との戦いであったように思われる。
それ故1974年に公開された映画『さようならCP(脳性まひ)』では、自ら出演し、死にもの狂いで横断歩道を這って渡り、健常者の哀れみと同情がつくりだした愛と正義の否定を掲げたのであった。
何故なら障害者を締め出している社会は、哀れみから重症障害児を殺した親に同情的で、「悲劇の親に無罪」という新聞見出しが駆け回っていたからだ。
横田さんは言う、「殺された子供は僕だった。これは黙っているわけにはいかない。子供を殺した親がかわいそうならば、殺された子供の命はいったいどうなるのだろう。このままほっておいたら、いつ自分たちが殺されてもおかしくないでしょ。冗談じゃないよ」と怒りを持って問い正している。
そして「障害てわるいの?障害者が生まれちゃいけないの?障害って何なの?障害者て悪いのていう問いかけだよ。障害者のまま生きてたっていいじゃないの」と切々と訴えている。
その訴えには、既に欧米では定着し始めたノーマライゼーションを求める叫びがほとぼり出している。
しかし日本社会はそのような訴えを理解することなく、無情にも障害者のバスに乗って外に出て行くことを無視したのであった。

マルクス・ガブリエル倫理トーク(11)出生前検査

ドイツは2013年以来簡単な血液検査で、ダウン症などの遺伝子異常を調べる出生前検査を実施している。
開始にあたっては20年以上の国民議論を経て、妊婦に宿った子どもの生きる権利と障害のある可能性のある子どもを宿した女性の決断する権利を尊重することが求められている。
それは相反する権利の葛藤であり、検査での陽性結果の出た妊婦の苦しみは想像を絶するものがあることから、何処で暮らしていても相談できるようドイツ全土で1500か所を超える妊娠葛藤相談所が設けられている(クローズアップ現代『新型出生前検査 導入から一年~』参照)。
そこでは専門カウンセラーが葛藤する妊婦が、納得して決断が出来るまで何度でも無料でカウンセリングできる仕組みがつくられている。
またダウン症などの障害のある子ども出産に対しては、家庭への助成金や税軽減措置で十分な経済負担配慮がなされている。
そのように配慮されたドイツの出生前検査であるにもかかわらず、ガブリエルは検査で好む(正常)遺伝子と、好まれない(異常)遺伝子に区分けすること自体問題であると切り出している。
何故ならそのような検査は、予め社会から重大犯罪者を選び出すようなものだからであり、障害を持って宿った子どもの命に備えるべきでないと主張している。
そこには障害の子どもを好まないものとして区分けすれば、老齢者などの社会にとって負担になるものへと波及して行くだけでなく、なし崩し的に優勢思想の復活が垣間見られ、そのような検査は倫理的に許されないとするガブリエルの強い意志が感じられた。
もっとも障害のある子どもや家庭への十分な経済支援、及び障害者が自立して暮らせるノーマライゼーションの基盤が整っているドイツであるからこそ言えることだと思う。
日本のように障害者への経済支援が余りにも不十分で、表向きは障害者のノーマライゼーションを掲げているが殆ど基盤が整備されていない日本では、とてもガブリエルのような主張はできないだろう。
すなわち現在の日本では障害のある子どもを育てることは、並大抵の労苦であることから育てる側の判断で中絶もやむ得ないだろう。
また少しでも障害のある子どもを産む可能性のある妊婦には出生前検査を保険適用とし、陽性である場合妊婦の納得行く十分なカウンセリングを無料で実施することは福祉行政の責務であると思う。
そして将来的にはガブリエルの主張するように、障害を持って宿った子どもの命をより尊重し、出生前検査は廃止すべきである。
もちろん障害のある子どもへの十分な経済的支援だけでなく、障害のある子どもが健常者と分け隔てなく生きていけるノーマライゼーションの基盤が、十分整備されなくてはならない。
そのような財源は、核弾頭ミサイルに対抗するイージス基地の建設を止めれば調達可能であり、ドイツのように福祉基盤を整えるだけでなく、教育の無料化、さらには憲法で保証された暮らしができていない困窮家庭も解消できる筈である。
すなわち日本は憲法に違反するような集団自衛権行使の積極的平和(力による平和)を掲げるから、イージス基地など益々軍備増強が果てしなく必要となるのであって、平和外交を優先すれば、ドイツのように軍事費は当然縮減されよう。

ドイツから学ぼう(362)ドイツから学ぶ未来(5)ドイツから見た戦後の日本教育後編・マルクス・ガブリエルの倫理トーク(9)自由の責任、(10)自然破壊

ドイツから見た戦後の日本教育後編

 

 

日本の戦後教育は、私の見た動画57前編の終わりで見るように、財界からのエリート要請に従い、学校が能力主義という競争原理によって序列化されて行き、戦後教育の「国家が教育のために奉仕」する理念が、「教育が国家のために奉仕」する戦前の教育へと実質的に捻じ曲げられて行ったのである。
それは後編初めのフィルムが、全国8000人の教師の調査によれば生徒の半数を置き去りし、落ちこぼれを生み出し、さらに校内暴力やいじめへと発展し、教育の荒廃するさまを物語っている。
こうしたなかで文部省は教育改革を打ち出すが、この教育改革こそはサッチャーレーガンが推し進めた新自由主義にのっとった教育であった。
しかし84年に誕生した中曽根新自由主義政権での臨時教育審議会では、競争原理の追求よりも教育の荒廃が反省され、競争原理追及の手段である多様化、自由化、個性化追及が戦後の理想教育への回帰をもたらし、“生きる力、自ら学び自ら考える”ことを目標とするゆとり教育へと向かったのであった。
そして2002年から実施されたゆとり教育では、教科内容が3割削減されると同時に、各学校の担当教師に委ねられた総合学習が開始された。
しかしそのような理想教育への回帰も、教育予算が縮減されていくだけでなく、教師が創意工夫で生徒と共に創り出して行くには余りにも時間的余裕がなく、総合学習の基礎知識も不足していた。
それでも理想を追い求めるゆえに、根付き始めていた。
しかし理想が根付く先には、理想ゆえに現在の国家に奉仕する教育を崩すことになりかねないことから、例のごとく学力低下があらゆる方面から叫ばれ、再び学力重視の競争教育へと旋回して行った。
しかも日本社会の格差が激化していく中で、6人1人という子供の貧困が進み、ドイツのように母子家庭でも平等な教育チャンスは全くなく、放置されてるといっても過言でない。
安部首相は例のごとく確信を持って、教育の平等なチャンスを与えるべく貧困の連鎖は断ち切って行かなくてはならないと断言するが、まさに官僚答弁のように実現意思のない先送りにしか響いてこない。
事実その断言から5年も経つが、先送りされ益々子供の貧困化が聞こえて来ている。
これに対してドイツは、60年初から始まった教育の民主改革を通して民主化と平等化を求め、60年代末の学生運動の挫折も乗り越え、生徒の自主性を尊重し、競争より連帯を育む事実授業(体験学習)は、内的改革として試行錯誤を経て育ち、80年代末には競争より連帯を育む自由な協力的学習、選抜的でない支援的学習、生徒、教師、親の共同決定を求める学習、世界及び未来という大きな視点に立った学習へと拡がって行った。
しかしこうしたドイツの理想教育は、ドイツ統一を通してアメリカの競争原理優先の新自由主義の激しい洗礼を受けると、内外において厳しい批判に晒された。
しかもドイツの誇る自動車産業が大きく落ち込み、産業界からは国際競争力を高める教育が求められた。
そして2000年代初めのシュレーダー政権は、競争原理を最優先するアジェンダ2010政策で、教育も競争原理を優先し、産業(国益)に奉仕する競争教育へと大転換が求めたのであった。
実際大学までの13年の中等教育が12年に変化し、大部分の州でアビィートゥア試験(大学入学資格試験)が各学校の試験から統一試験となり、大学も有償化が求められて行った。
そしてその先には日本の競争教育のように、大学自身が学生を選抜できるエリート育成の教育が目指されていた。
すなわち大学授業料の有償化については、年間1000ユーロの授業料が2006年からバイエルン州バーデン・ヴュルテンベルク州ザクセン・アンハルト州、ザーランド州、バイエルン州ニーダーザクセン州で始まり、全ての州で有償化に向けて動き出していた。
しかし戦後の理想教育で育った市民は、そのような国益に奉仕する教育への大転換を望まなかった。
2008年ヘッセン州選挙で大学授業料の有償化が問われ、有償化が否定されると、有償化していた全ての他の州でも順次州選挙で否定され、2015年にはドイツの全ての州で大学授業料が再び無料化されたのであった。
確かにドイツの理想を求める教育が,、新自由主義に大きく浸食されたことは事実であるが、そのような理想を求める教育で育った国民ゆえに、国益優先のエリート養成に指針を向けた大学授業料有償化に「ノー」を突きつけたのも事実である。
すなわち産業に奉仕する教育より、社会に奉仕する教育を選んだのである。
そうしたドイツゆえ、2011年の福島原発事故後直ちに国民に開かれた倫理委員会を発足し、核エネルギー賛成派と反対派が徹底した議論を倫理的視点で繰り広げ、2ヵ月後には脱原発再生可能エネルギーへのエネルギー転換を決定したのであった。
すなわち倫理委員会ではフクシマ災害を起こしたことを踏まえ、核エネルギーの絶対的拒否が大災害となる潜在性、未来の世代が背負う負担、放射能汚染による遺伝的疾患の観点から必然的に導かれる決論し、かかる損害事故を起こさない為には、核技術をもはや利用してはならないという決定を下したのである。
この倫理委員会の議論は、全て動画として公表されており、そうした倫理委員会の議論こそが「ドイツから学ぶ未来」でもあることから、追々載せて行きたいと思っている。

 

マルクス・ガブリエの倫理トーク(9)自由

 

 

自由の倫理トークでは、「あなたは市内を時速300キロで走行でき、誰かをひき殺せば自ら責任を取らなければならないでしょう」という、日本人からすれば極めて特異な例を持ち出している。
しかしドイツのアウトバーンでは制限速度がなく、ドイツ車であれば時速300キロも可能であることから、よき例として自由に責任があることをガブリエルは諭している。
すなわち人間は、人の間に生きている存在であり、自由には他者への責任が問われると言えよう。
さらにガブリエルは絶対自由について、人はおとぎの国で1人で生きれば、絶対的自由は得られるとしても、精神の病に侵されるだろうと述べている。
ドイツの自由への責任は、戦後の深い反省に基づく基本法第一条の「人間尊厳の不可侵」に発しており、思想の自由、言論の自由表現の自由が他者の自由や権利を侵害する場合拘束されることを基本法に明記している。
すなわちヒトラーの礼賛やホロコースト否定のような発言は、刑法で処罰されている。
また国連においても世界人権宣言で、「他人の自由や権利を侵害する自由は認められない」
と人間尊厳の不可侵性を世界に誓っている。
しかし私が思うに、現在の新自由主義の世界は、規制なき自由が多発され、市民の権利や自由を奪うだけでなく、途上国の国営事業を民営化し、合法的にその富さえ奪っている。
まさにその自由こそは、リベラルを装ったコロニアリズムの偽装に他ならない。
このような自由な世界では、最早各国の法律による拘束では自由の責任を問うことは不可能であり、ユルゲン・ハーバーマスやウリッヒ・ベック等が唱える世界内政治が必要不可欠である。
「世界リスク社会論」を提唱したウリッヒ・ベックは、グローバルな世界危機への対峙は(グローバルな責任は)、国際的法規を各国の対話を通して創り上げ、世界の全ての国が従う協力体制の構築を協調的に求めている。
そこではベックは、各国は協力体制を構築することで自己決定権を縮減させるが、国家の主権を減らすより、寧ろ国家主権の潜在能力を高めると述べている。
確かにドイツの戦後の理想教育で育まれた理論は、倫理的にも文句のつけようがないほど正当なものであるが、ドイツのようにシステムを通して市民への官僚奉仕があらゆる側面で徹底されている国では機能するだろうが、EUや国連のように官僚委員が国益に奉仕する官僚支配の世界では、産業側のロビー活動で結局は殆ど機能しないであろう。
それ故に、既に何度も述べてきたように、EU、そして国連は戦後のドイツのようにEU市民、そして世界市民に奉仕する世界市民にガラス張りに開かれた官僚委員奉仕を実現していかなくてはならない。

 

マルクス・ガブリエルの倫理トーク(10)自然破壊

 

 

自然破壊の倫理トークは、「私が多くの汚染や化石燃料の過剰消費を見る時、自然の強奪を感ぜざるにはいられません」という神学者でジャーナリストのマデライン・ズペンディア女史の問いかけから始まる。
ガブリエルは「それは倫理的、社会政治的に悲劇的やり方で自然を強奪してきた、見逃せないものです」と同意し、女史の責任論に対しては「勿論次世代への責任があり、私たちが現在営むやり方は、人類が4000年営んできたエコロジーなものとは全く異なっているのは自明です」と真摯に答え、これまでの自然を強奪する社会の慣習を変えていくことで責任を取らなくてはならないと諭している。
その慣習を変えるものは、学校での生物、物理、そして倫理の教育であり、それを通して産業革命以来人類をいかに危険な場所に導いているかを理解することから始まると述べている。
それは、昨年亡くなった哲学者梅原猛の“フクシマ原発事故は文明災”であったという重い言葉を思い出させる。
梅原猛は、過ちが近代文明創設者ともいうべきデカルトの「目の前にある自然は数式に置き換え容易に支配できる」という驕りにあり、人間中心主義の自然支配を改め、自然との共存を訴えていた。
日本は世界唯一の被爆国であり、事故当事国であることからも倫理的に絶対的拒否が打ち出されるべきであるが、原発事故の処理だけでなく、被災者への謝罪と償いは未だに一向に進まず、原発を基本電源と位置付けており、ドイツから見れば恐ろしい大本営国家が今も継続されているとしか言いようがない。
私もしっかり覚えているが、95年の高速増殖炉ナトリウム事故直後ドイツの公共放送ZDFは、他国への政治干渉というリスクを侵して、日本のような地震列島で50もの原発が稼働している危険性を痛烈に批判し、高速増殖炉爆発で日本壊滅のリスクにもかかわらず大きなデモもおきないことに対して、「おとなしく従順な国民は、原発事故も運命だと諦めているのでしょう」と報道しており、その報道が今も耳に残っている。