『ベトナムから遠く離れて』に見る歴史に残る連帯
(世界の人々が平和を願うからでしょうか、下のyoutubeで最後まで見られます)
60年代当時日本でも、各地でベトナム戦争反対の市民運動が繰り広げられ、ジョンバエズの平和を希求する歌が木霊していた。そうした中で『ベトナムから遠く離れて』を見たとき、平和な世界に変えていかなくてはならないという制作者たちの思いに、強く共感したことを覚えている。
この映画は序章(プロログ)と終章(エピローグ)を除き、11章から成り立っており、以下のように展開されている。
序章 「……米国が立ち向かっているのは貧しい人々との戦いであり、望むものは彼らの革命を鎮圧せよであり、逃げ場のない戦いである」というプロログから始まる。
第1章(4.00~14.16)「ハノイ爆撃」。空爆下のハノイの光景がドキュメンタリー映画の第一人者ヨリス・イヴェンスによって描かれており、ハノイ市民自らセメントで円筒防空壕を製作し、頻繁な爆撃にもかかわらず、市民の誰もが落ち着き、勝利を確信していることを描き出している。
第2章(14.16~23.40)「パレードはパレード」。フランスではハンフリー米副大統領パリ訪問が激しい抗議デモで迎え、アメリカでは退役軍人のパレードが熱烈な戦争支持に変貌していき、ウォール街の過激な市民は「ハノイを爆撃しろ」と叫んでいる。
第3章(23.41~27.35)「ベトナムのプロパガンダ大衆劇」。ジョンソン大統領(黄色)とマクナマナ国防長官(青色)に扮する役者が、ファントム戦闘機がすべて幻の機体なってしまったことを嘆いている。
第4章(27.36~42.47)「知識人の独白」。かつてナチのレジスタンスであった知識人の矛盾する苦悩の独白。
第5章(42.47~53.20)「ヴァルダの回想」。アニエス・ヴァルダがベトナムの約20年に渡る反植民地運動を、ニュース映像やアメリカ漫画を背景に読み上げる。またヴァルダがパリで撮影した、ベトナム農民が手作業で壊れた堤防を修復する映像は圧巻である。
第6章(53.21~64.09)「ゴダールのカメラの目」。ゴダールの連帯して映画を制作する思いをあからさまに独白している。
第7章(64.10~77.55)「反戦フォクソングが歌い上げる米軍占領地」。
第8章(77.56~80.02)「なぜ我々は戦うのか」。
第9章(77.56~80.02)「カストロインタビュー」。
第10章(80.03~92.33)「焼身自殺」。
第11章(92.34~112.06)「アメリカ市民のベトナム戦争への思い」。
終章(エピローグ)(112.07~116.27)「避けられない戦い」。
この映画は終章で、「数分後にこの映画は終わります。この劇場を離れ、多くの者にとっては戦争のない世界に再び戻ることになるでしょう。ここは私たちの世界でもあり、つまり特定の現実を忘れるのはいかに簡単かということです。私たちはベトナムから遠く離れています。私たちの感情や憤りのベトナムは、時に無関心と同じくらい現実のベトナムからかけ離れています。私たちは、自らの目的や目まぐるしい過剰さ、そして何よりも自らの暴力を隠す能力を極めて押し広げた社会に生きています。この戦争は歴史的な偶然でも、植民地問題の遅れた解決でもありません。それはここに、私たちを取り囲み、私たちの中にいる。それは、ベトナム人が私たちのために戦っていることを理解し、彼らの基準で私たちの意識を測ることから始まります。……」と、ナレーションで「避けられない戦い」が語たられる。
そこには、映画は単なる娯楽ではなく「自らの生を表現する手段」であるとし、アルジェリア紛争、ベトナム紛争など帝国主義復活の兆しの時代状況に、呼応しようとしたヌーベルバーグの映画制作者の連帯して戦う決意が感じられる。
しかもこの映画は、クロード・ルルーシュ撮影の冒頭の米空母の緊迫感あるシーンから始まり、世界を縦横してドキュメンタリー映画撮影の道を切り拓いたヨリス・イヴェンスがベトナムの前線からハノイ市に至る現状を見事に描きだしている。また『去年マリエンバートで』のアランレネが第4章を描き、知識人の苦悩する独白と、それを猜疑心で聞く女性シーンで一石を投じている。また第5章を描いたヴァルダのこの映画制作の並々ならぬ思いも、農民の堤防を手作業で修復する映像から伝わってくる。
そして第6章のゴダールの「カメラの目」では、ゴダール自身が撮影機を聴衆に向け、「ベトナムで映画を制作しようと企画書をハノイ政府に出したが、却下された」というあからさまな独白から始まる。フランスで『中国女』をベトナムから遠く離れて撮りながら、自分自身の中にベトナムをつくり、世界を変える純真な思いが語られる。そのようなゴダールの純真な思いにもかかわらず、映画を撮る自分と工場で戦う労働者との間には距離があると自己批判し、ロシア革命に共鳴し、芸術の絶対的自由を訴えたフランスの詩人アンドレ・ブルトンを引用して、「長い革命的忍耐」と「叫び」を自らを鼓舞するかのように訴えている。
したがって『ベトナムから遠く離れて』は、このようにヌーベルバーグを率いた映画制作者たちが、ベトナムから遠く離れて見る観衆の日常生活にベトコンを作り出し、社会構造を変革する最も優れたプロパガンダ映画と言ってもよいだろう。彼らはサルトル同様に、文化大革命を大衆が主体的に自由を獲得する試みとして理想化し、自らの生き方を投影してこの作品を連帯して制作した。
しかしベトナム戦争が人民の勝利に導き出された後、ベトナムは市場経済に巻き込まれて行き、大量虐殺のカンボジアを初めとして周辺諸国で現在も起きている悲劇を考えると、力による貧しい人々の社会変革を否認せずにはいられない。
そうであってもこの映画は、世界に巻き起こした平和運動によってアメリカ軍撤退をもたらしたことも確かであり、映画制作者たちの歴史に残る作品価値を決してそこなうものではない。
『ノー・アザー・ランド』が描くコロニアリズム
ヨルダン川西岸のパレスチナ人居住地区で、イスラエル軍による入植のための不当な村破壊が絶えず進行している。この映画は、そのような現状を、子供の頃から入植地で育ったパレスチナ人青年バーセル・アドラーと、彼を支援するイスラエル人青年ユヴァル・アブラハームが必死に撮影し、世界に発信することで村を守ろうとする4年間に渡るドキュメンタリー映画である。
手持ちカメラやスマートフォンを使用して撮影された映像は、撮影者がそこで暮らす当事者であることから、家や小学校、ライフラインの破壊と強制的に追い出されていく村人の不条理を、絶えず緊迫感を持って描き出している。
イスラエルの非人道的で暴力的な入植政策に心を痛めていたジャーナリスのユヴァルは、バーセルの撮影活動に協力しようと、危険を冒してこの村にやってきたのだった。そして行動を共にするなかで友情が芽生え、二人は抑圧する側とされる側ではなく、本当の平等の中で生きたいと願う。しかしハマス虐殺テロ攻撃後、復讐とも言うべき暴力の連鎖が益々激化していく現状を映し出すなかで、この映画は終わっている。
そしてこの映画は、2024年2月のベルリン国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞するだけでなく、2025年3月のアカデミー賞の最優秀ドキュメンタリー賞に輝き、世界に向けて余り知られていなかったイスラエルのコロニアリズム(植民地主義)を白日の下に晒すことに成功している。
すなわち入植地での不条理な破壊と暴力を、幼いころから培われてきた手持ちカメラやスマートフォンでの撮影で、シンプルにわかり易く描いてており、見る側に共感と感動を与えずにはいられない。
それ故ベルリン国際映画祭の授賞式では、他の部門で受賞したベン・ラッセル監督が「私たちもここでの暮らしのため立ち上がり、今すぐガザの停戦を求めます。もちろん私たちはジェノサイドに反対であり、すべての同志と連帯します」と述べ、会場の拍手喝采のなかでベルリン国際映画祭が閉幕したと、英国日刊紙「ザ・ガーディアン」は伝えている。
明らかにイスラエルのこのような力によるコロニアリズムは、国際法に違反していることから、ホロコーストの贖罪からイスラエルを全面的支持してきたドイツにおいても、入植政策を厳しく問うようになってきている。
このようなイスラエルの入植政策を問う連帯は現在も世界に拡がりつつあり、いずれトランプ後のアメリカ政府を国連理事会で動かし、パレスチナのヨルダン川西岸域の統治をイスラエル軍から国連軍に変えることも可能である。
もっとも本質的原因は、富める国々が途上国に利益を求める資本主義のコロニアリズムにあり、世界の国々が地域自給できる自立経済を構築することなしには解消されないだろう。幸いと言うか、禍と言うか、現在のコロニアリズムを根底に持つ世界は、国益第一主義の欲望を肥大させ続け、絶え間ない紛争によるエネルギー危機と地球温暖化激化による食糧危機に向かっており、否が応でも地域自給できる自立経済を構築しなくてはならない。
そのような世界では、バーセルとユヴァルの「本当の平等の中で生きる」願望も叶うだろう。